あの日、あの時、あの場から~人生は出逢いで決まる⑤~

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♬ 田舎のバスは・・・

♬ 田舎のバスは おんぼろ車

    タイヤはつぎだらけ 窓は閉まらない

   それでもお客さん 我慢をしてるよ・・・

はるか昔、何かこんな歌を聞いたり、口ずさんだりしたことがあったような・・・

 

車内人身事故:

公共交通機関の車内において、転倒したり車内設備に接触したりすることによって負傷する事故を指す。発生した場合は一般の交通事故と同様に取り扱われ、警察の現場検証が必要となるうえ、運転者に行政上・民事上・司法上の責任が問われる。
(byウィキペディア)

 

しかし私が乗ったバスは、窓はちゃんと閉まっていたし、タイヤも普通だったと思います、・・・たぶん。

でも、つり革の上部の金具と繋ぎ合わさっている部分が切れかかっていたのは、完全な整備不良であったと言わざるを得ません。

皆さんはバスや電車に乗って立っている時に、つり革をつかむ前に、そのつり革が切れかかっているかどうかを確認しますか?

私も、あの事故に遭う前までは、そんな確認などしたことは一度もありませんでした。

でも、あの事があってからは、つり革をつかむ時には、切れかかっていないかどうかを確かめる癖が、すっかりついてしまいました。今でも(笑)。

 

とにもかくにも、あの日、あの時、あの場で、私はそれまでつかんでいたつり革を手放し、不運にも整備不良で切れかかっていたつり革を握ってしまったのです・・・。

つり革が切れるなど、いったい誰が予想するでしょうか。

一瞬の後、私は完全にブチ切れたつり革を右手で固く握りしめたまま、バスの出入口のステップに投げ出され、左の頭の斜め後方と左肩を、したたかに壁面に打ちつけてしまったのです。

その時、左手ではバッグを持っており、そしてあまりにも突然かつ不慮の出来事だったため、運動神経、反射神経の良い、さしもの私でも、咄嗟に左手で防御の姿勢をとることなどはできませんでした。

左手にはバッグ、右手には切れたつり革。

完全に無防備な状態で、車内に投げ出された私。

しかしながら、気絶することはなく、頭部からの出血はありましたが、痛みも感じず、意識はありました。

が、直後はいったい何が起こったのか、認識、把握することはできませんでした。

ただ、「なぜ俺は、切れたつり革を握りしめているんだ???」。

こんな間抜けなことが頭をよぎったことを覚えています。

 

今思えば、あれは確かに立派な車内人身事故そのものでした。

しかし、その場で警察の現場検証が行われたわけでもなく、その後、バス会社や運転手に行政上・民事上・司法上の責任が問われる、ということもありませんでした。

完全な業務上の過失だったのにも関わらず・・・。

 

 ♬ 田舎のバスは のんきなバスよ 

   タイヤはパンク エンジン動かない

   その時ゃ馬に ひかせて走ろ・・・

 

事故後、高校に入ってから、部活動で以前のようなパフォーマンスが発揮できなくなってしまった私は、そのまま大事をとって、失意のうちに硬式テニス部を退部しました。

 

ちょうどそんな決断をするかしないかの時期だったと思いますが、

田舎の叔父から、バス会社と示談が成立した旨の連絡が自宅に入りました。

この叔父は、私を整形外科に連れて行ってくれた義理の叔父ではなく、母の実の弟で、既に他界していますが、当時は、若くして地元の農業協同組合の参事を務めていました。

なので、いろいろな交渉ごとはお手のものであり、おそらく、バス会社相手にいろいろと追及、要求を突き付けてはくれたのだろうけれど、なにせ、♬田舎のバスは・・・、なので(泣)。

 

あとから聞いた話ですが、そのバス会社は当時、本当に潰れそうな零細企業だったようです。

 

そして暫くして、大きな大きなバナナの房と一緒に送られてきた示談金は、20,000円!

0の数は、これで合っています。

どこからか、オヤジさんの「そんなバナナ!」という声が聞こえて来そうですが(笑)。

 

・私がまだ子どもだったこと

・警察による現場検証が行われなかったこと

・整形外科で重症との診断が下らなかったこと

・被害者である私が、「たいしたことない。大丈夫」との言葉を繰り返していたこと

・そして何よりも、事実、事故後の私がすぐに元気になっていたこと  等々

そんなこんなで、こんな結果になったのだと思います。

 

今考えれば、もっとちゃんとしていれば、との思いを抱かないわけではありませんが、

志望校に受かったばかりの私としては、「こんなこと」で楽しいはずの高校生活に、

水を差されたくないな、というのが正直な気持ちでした。

面倒なことに早く蹴りをつけて、新しい生活に気持ちを切り替えたいと思っていたので、そのまま示談に応じたのでした。

(つづく)