あの日、あの時、あの場から~人生は出逢いで決まる⑧~

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弱り目に祟り目

眼の痛みとまぶしさと涙で、高校での授業がまともに受けられないまま・・・、
1週間ほどが経ちました。

眼薬がそろそろなくなる時期でもあったので、再び眼科に行き、その後の状況を説明し、診察してもらうと・・・、

なんと、既に角膜炎は治っているとのこと!

「確かに激烈な痛みは遠のいたけれど、でも、朝起きてから夜寝るまで、眼を開けている間じゅう痛い。

この眼の痛みとまぶしさは、いったい何なのだろう?」・・・。

 

眼医者曰く、

「眼精疲労だと思う。眼の使い過ぎだと思うので、あまり細かな文字を見たりするのを控えて、なるべく眼を休めて・・・。とりあえず瞳を大きくする薬を出しておくね。」

 

確かに受験生だけど、これまではそんなに勉強なんかしてきてないよ。でも、さすがに7月に入ったことだし、そろそろ受験勉強に本腰を入れなきゃ、と思っていた矢先の眼の病気!

それに、何それ?瞳を大きくする薬?

そんなんで、この激烈な眼の痛みが治るとは思えないんだけど・・・。と、眼医者に言うことはできず、半信半疑のまま、暫くはその点眼で様子を見ることに・・・。

 

私が通っていた高校は、進学先がトウダイも含め、国公立大学にもそこそこ入り、4人に1人はソウケイに受かってしまうという、いわゆる進学校でした。

なので、私も国公立は無理だとしても、せめて都の西北まで通って、当時、興味・関心のあった考古学でもできれば・・・、

と思って、受験勉強のエンジンをかけようとしていた矢先に、思わぬ事態に陥ってしまったのです。

 

それに、7月に入り、1学期の学期末試験も目前に迫っていました。

今と違って、大学入試はそのほとんどが、いわゆる筆記試験一発で合否が決まるシステムで、推薦入学制度などあったような、なかったような・・・。

仮に、あったとしても、同級生は皆「推薦なんて・・・」といった感じで、歯牙にもかけない、気概のようなものがありました。

なので、授業に集中することはもちろん、定期試験に対しても、別に内申点を上げる、というセコい考えからではなく、ごく当たり前に前向きに取り組む、といった雰囲気がクラスや学校全体にはありました。

 

それなのに、自分は・・・。

板書もよく見えず、教科書に眼を落しても、痛みと涙で長続きせず・・・。
何をするにしても、集中力を保てなくなってしまっていました。

おまけに、瞳を大きくする薬って、いったい何なんですか!
瞳が開いて、ピントがちっとも合わないじゃないか!
それに、瞳孔が開いたら、余計まぶしくなってしまうじゃないか!

俺に勉強するなって言ってんのか!・・・

「弱り目に祟り目」とは、まさしくこのこと。
物事にはあまり動じない性格の私でしたが、さすがに焦りを感じてきました。

 

お察しのとおり、期末試験の結果は散々でした。

「まぁ、一般入試は内申など関係ないし・・・。でも、この眼、ほんとに治さないとまずいな。どうにかしなきゃ。
もう少し大きな病院に行ってみるか。」

そうして、横浜市神奈川区内にある総合病院の眼科にかかったのは、あと数日で夏休みに入る
という頃だったと思います。

 

診察時に、6月下旬に眼をこすっていたら、急に痛くなって、眼が真っ赤に・・・、と
これまでの経緯を話し、とにかく眼の痛みとまぶしさを何とかしてほしいと、懇願しました。
(この時には、涙が止めどなく流れるという症状は、だいぶ軽減していました)

 

初診時の比較的年配の先生が、ひととおり診察した後、視力検査をしました。

視力検査担当の先生は、比較的若く、そしてイケメンでした。
その昔、甲子園を沸かせた、三沢高校の太田浩二投手に似ていたことを覚えています。

その太田投手曰く、
「少し、乱視気味だね。乱視の人は眼が疲れやすいんだよ。眼鏡作る?」

「眼鏡を掛ければ、治りますか?」

「ああ、今よりは楽になると思うよ!」

 

こんな簡単なやり取りの末、私は生まれて初めて眼鏡を掛けることになりました。
もう、眼鏡に賭けるしかなかった、というのがその時の心境でした。

その場で、横浜駅西口の、とある眼鏡屋への紹介状を書いてもらい、帰宅しました。

 

数日後、私がその紹介状を持って、指定された眼鏡屋に出向くと・・・。

なんとそこには、あの太田投手が店のユニフォームを着て、立っているではありませんか!
「???」

 

しかし、なんでここに居るのですか?とも聞けずに・・・、
なんか不思議な気持ちを抱きながらも、私は太田投手に眼鏡を作るための検眼をしてもらいました。

 

結局、太田投手の本業は眼鏡屋の店員で、週に何回か、病院に検眼に出向いていたのですね。
もう少し大人になってから、そんな仕組みに気が付きました(笑)。

今は、そういう仕組み自体、許されていないとは思いますが、当時はそういった時代だったのでしょうね。

 

とにもかくにも、数日後から私は、サングラスの代わりに、自分用に誂えた眼鏡をかけることになりました。
シルバーのメタルフレームで、まぶしさを軽減するために、ブルーのようなグリーンのような薄い色が入り、光が当たると、それらの色が反射して綺麗な色を発するような、なかなかかっこいいデザインの眼鏡でした。

この書きぶりからもお分かりのように、その時、私は眼鏡を掛けるということに、少々喜びを感じていました。

これで眼の痛みとまぶしさが治まる!との期待も、もちろんありましたが、正直なところ、それ以上に、眼鏡を掛けるということが、何か嬉しかったのです。

まったくの子どもでした。

 

それはともかく、喜んで掛けた眼鏡の効果のほどは・・・。

(つづく)