あの日、あの時、あの場から~人生は出逢いで決まる⑮~

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癪にさわる

その日は確か、よく晴れた秋日和の一日だったような気がします。

 

学校も休みがちで、たまに顔を出しても、元気のない私を心配して、

鎌倉に住む二人の友だちが、気晴らしにと、私を鎌倉散策に誘ってくれたのです。

 

特にどこそこへ行こうとの当てもない、そぞろ歩きでもあったので、

どこをどう歩いたのかは、今はもう思い出すことはできません。

ただ、明月院と源氏山には行ったような・・・。

 

それから、もう一つは、小町通りと若宮大路を結ぶ路地にある、

お汁粉屋さんの「納言」で、田舎しるこを食べたことは覚えています。

私は、辛党でもあり、甘党でもあるのですが、

随分と甘かったような記憶があります。

 

散策中、景色や神社仏閣を観ても、私の気が晴れることはありませんでした。

それよりも、普段、学校では話せないような心の中のモヤモヤを、

この時とばかり、歩きながら二人の友だちに投げつけてしまっていました。

 

眼のこと、身体の不調さ、もつれた人間関係のあれやこれやから来るストレスで、

受験勉強どころではなく、おそらく現役合格はできないだろうということなど・・・。

 

高校2年生の時の国語の教科書に載っていた、

中島敦の『山月記』の主人公:李徴よろしく、

「判らぬ。全く何事も我々には判らぬ。

理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受け取って、

理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」

などと、カッコつけて言ったりもし・・・、

 

(山月記の李徴の場合は、このセリフのあと、

「何故こんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、

しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。・・・」

と独白し始めます。

 

しかしながら私の場合は、体調不良の原因は、

この時点では、皆目見当がつきませんでした。

まして、それが高校入学直前に、乗っていたバスのつり革が切れて、

頭と肩を強打したことが関係しているなぞ、想像だにしていなかったのです)

 

なので、私は、やりたいこと、やらなければいけないことが

目の前にあるのに、それができないもどかしさを、

毒のある言葉とともに、二人にぶつけてしまっていました。

 

二人が気のいい奴であることをいいことに、

私は、随分と二人に対して甘えた態度をとっていたと思います。

そんな私に対して、大人しい二人は聞き役に回らざるを得ず、

気晴らしどころか、二人にも、私の暗い気持ちが伝染してしまったかのようでした。

今思えば、二人には、本当に気の毒なことをしてしまいました。

 

そして・・・、

辺りが夕闇に包まれ出し、

そろそろ帰ろうかと、鎌倉駅に向かって歩いている時のことでした。

 

私の胃が俄かに痛み出したかと思うと、

たちまちのうちに激痛へと変わっていったのです。

それも、それまでに体験したことのないような強烈な痛み!

 

それこそ猛禽類か何かに、胃袋を鷲づかみにされたような痛みで、

私はその場にうずくまり、

動けなくなってしまったのです・・・。

 

焦りました。

しかし、私以上に焦ったのは、二人の友だちだったのでは・・・。

とにかく、尋常ではない様子だったと思いますので・・・。

 

普通なら、救急車を呼ぶ、ということだったのでしょうが、

友だちのうちの一人の自宅が、もう目と鼻の先、ということもあって、

その彼が、私をおんぶして、とりあえず自宅まで運んでくれたのでした。

 

次に慌てたのは、その彼の両親でした。

何しろ、大の男が大の男を背負って、自宅に担ぎ込んできて、

しかも、背負われた男は、血の気が引いて真っ青な顔をしていたのですから・・・。

 

お母様がすぐに布団を引いてくれて、私は横になることができました。

暫く布団にくるまりながら、

「なんでこんなことに・・・。もう勘弁してくれ・・・。」

私は、絶望の一歩手前の失望と恐怖感にさいなまれていました・・・。

 

しかし、しだいに身体が温まるにつれ、

痛みも多少は軽くなってきたような気がしました・・・。

 

ところで、あれはいったい何の痛みだったのか。

胃痙攣・・・? 癪・・・?

今考えても、よくわかりません。

ストレス性の胃潰瘍で、胃に穴があいてしまったのかもしれません。

甘味処で甘いものを食べたことも、引き金となったのかもしれません。

 

                                                                         (つづく)