創作読物 36「人は人を、自分に都合の良いように解釈したい」

 

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

前回は、こちらから

 

「考えるヒント、ねぇ…。

 じゃあ、平井さん、

 突然だけど、言葉遊びって言うか、クイズ出しましょうか?」

「え?

 クイズですか?」

「そう。漢字のね。」

「ええー!漢字ですかぁ?

 漢字、苦手と言うか…、あまり得意じゃないんですよ。

 理系なんで(笑)。」

「理系の人が漢字苦手って決めつけるのも、理系の人に失礼でしょ(笑)。」

「ああ、そうですかねぇ。

 でも僕は…、ちょっと苦手ですねぇ。」

「まあまあ、そう言わないで(笑)。

 じゃあ、行きますよ。

 じゃ、まず…、強制の反対語は?」

「え?

 きょうせいって、強いに、制する、の強制ですか?」

「そう、その強制。で、その反対語は?」

「え?

 いきなり難問ですねぇ。何だろ…。

 強く制する、の反対だから…。

 弱く…、ゆるい…?

 えー、何だろ?何かもうちょっとヒントくれませんか?」

「またヒント(笑)?

 じゃあねぇ、強制の意味は…、

 力ずくで、または権力によって何かさせるってことね。

 つまり、無理強いかな。」

「なるほど…。

 じゃあ、強制の反対は、無理に何かさせないってことだから…、

 わかった!自由じゃないですか?」

「うーん。

 まあ、正解でいいかな、ちょっと甘いけど(笑)。

 というのは、自由って、いろんな反対語があるからねぇ。

 例えば専制とか、束縛とか、統制とか、窮屈とかね。

 これ、みんな自由の反対語でしょ?

 あ、単純に不自由でもいいのか(笑)。」

「なるほど。」

「でもまあ、まあ、正解かな。」

「でも、じゃあ、もっとぴったりの言葉があるんですか?強制の反対語で。」

「うん、そうだね。

 自由っていうのを今調べたら…、

 他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行動すること、

 その環境に身を置いて、自由に行動・思索が出来ない様子、ってあるね。」

「えー、なんか余計頭が混乱して来ちゃいましたよ(笑)。」

「そうだね(笑)。

 まあ、自分の意志・感情に従って行動するって言うんだから、

 任意ってのが、強制の反対語としていいんじゃないのかね。」

「あ、任意ですか。任意…、なるほどね。」

「その人の意思に任せること。

 そうするか否か、どれにするかがその人に選べること、ってあるよ、辞書には。」

「うん、強制の反対語としてはぴったりですね。

 でも、藤井先生、

 自由に近い言葉で、放任てあるでしょ?

 自由放任って言うじゃないですか。

 その放任はどうなんですか?強制の反対語として。」

「うん。

 放任は、ほったらかして勝手にさせるということだから、

 それも OKかな。」

「これだから日本語は難しいんですよねぇ。」

「まあ、難しいと考えるか、奥が深いと考えるかだけど…、

 じゃあ、しつこいようだけど、もう一つね。

 今度は、強制の同義語、類義語は何?」

「えっー。

 さすが元国語の先生ですねぇ(笑)。

 えっと、強制と同じような意味だから…、

 つまり、力ずくで何かさせるってことだから…、

 そうだ、強要なんてのはどうですか?」

「いいね。これは一発で正解かな(笑)。

 さっき言った、無理強いね。

 でもね、平井さん。

 僕はね、矯正も類義語なんじゃないかって思うんだよ。

 弓矢の矢に、橋の右側の喬っていう字書いて、正すね。」

「ああ、あの歯を矯正するの矯正ですね。」

「そうそう。

 意味は…、欠点を直すこと。正常な状態に変え、正すことってあるね。」

「強制と矯正だと、発音も同じですね。」

「うん。

 で、これは僕の考えと言うか、偏見かもしれないけど…、

 教師とか、親とか、とにかく誰かを指導したり、しつけたりする立場の人って、

 矯正するために、強制するっていうことが、よくあるんじゃないかとね。」

「矯正するために、強制する?」

「うん。

 で、それが正しいかどうかは別にして、

 とにかくそういう人は、その人なりの信念に基づいてやってるから、

 余計に始末が悪いというか…。

 まあ、善意の押し付けみたいなもんだからね。」

「確かにそうですねぇ。」

「さて、今ちょっとやりとりしただけでも、随分漢字が出てきたでしょ。」

「そうですね。

 えっと、強制、自由、束縛、窮屈、任意、放任、それに矯正ってとこですか。」

「そうだね。

 まあ、このあたりの言葉が、平井さんが陽香さんの担任として

 どう接して行ったらよいかを考えるヒントになるんじゃない?」

「なるほど。

 そういうことですね(笑)。

 ありがとうございます。」

「まあ、さっき、久保田さんのことはともかく、って言ったけど、

 この際、久保田さんも含めてね、久保田さんや平井さん自身、

 そして陽香さん、あるいはお母さんにとって、諸々のことがどうなのか。

 今出て来たどんな言葉で表すのがいいのかって考えるだけでも、

 何か見えてくるんじゃないのかね。」

「なるほどー。

 いや、視点が広がったというか、

 いい考えるヒントをもらえた気がします。ありがとうございます。」

「あ、いやいや。」

「ただ、なんか、人の様子に言葉を当てはめるのは、

 何となく簡単にできる気がしますが、

 自分自身に、となると、途端に難しくなりますねぇ。」

「そりゃそうだよね。

 他人は、やはり自分から見れば、ある一面しか見えてないから単純化できるけど、

 自分はもっと複雑と言うか、内面を多面的に捉えるのは難しいってことだよね。」

「ほんと、そうですねぇ。

 だから、人って自分のことで、あれこれ悩んじゃうんですかねぇ。」

「だろうね。

 でも、自分が複雑ってことは、周りの人もそう単純ではないってことなんだけど、

 どうも人は他者を単純化したがるんだよね。」

「なるほど、そうですよね。

 なので、人は人をわかったような気になって、実は誤解してるんでしょうね。

 いやあ、なかなか深いなぁ。」

「人は人を、自分に都合の良いように解釈したい、ってことなんだろうね。

 特に、自分にとって近い人には、余計にその意識が働くんじゃないかな。」

「それって、すごく大事な視点ですよね。

 つまり、好き嫌いで、その人に対する評価が変わるってことだから、

 下手したら、偏見とか、差別に繋がるってことでしょう?」

「うん。

 ほんとに深い話になって来たね(笑)。

 じゃ、ついでって言うとなんだけど、もう一つ話しましょうか?」

「あ、はい。

 でも、お時間、大丈夫ですか?」

「ああ、私は大丈夫。平井さんは?」

「はい、大丈夫です。

 藤井先生が良ければ、ぜひお願いします。」

 

(つづく)

 

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