創作読物62「狭い門から入りなさい」

 

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

前回は、こちらから

 

「でも…、

 変わり者と言えば、

 平井さんも相当変わってんじゃないのかね?」

「え?

 そうですか?

 いやぁ、自分ではそんな感じませんけど…。」

「私がそう感じたのなら、

 きっと、そうなんじゃないの(笑)。」

「あぁ、

 確かに…(笑)。

 でも、そういうのって、

 自分ではよくわからないんじゃないんですかね?」

「うん。

 自分で自分を客観視するのって、

 たとえ意識したとしても、難しいよね。

 なんというか、やはり、主観が入っちゃうから…。」

「ですね。

 冷静に自己分析できる人なんて、

 いないんじゃないですかね…。」

「だろうね。

 20年ぐらい前からかな…、

 学校でも、キャリア教育とか、キャリア開発とか言われ出して…。

 その頃から、自己分析って、流行ってきたというか…。」

「そうなんですか…。」

「うん。

 その頃からね、

 一部の高校と言うか…、

 特に、新しい学科として登場した、総合学科高校なんかではね、

 生徒に、君は将来何になりたいんだ?どんな夢を持ってるんだ?って、

 教師が生徒に迫るわけよ。」

「はぁ。

 迫るんですか(笑)。」

「うん(笑)。

 でも、高校1、2年生だから、

 だいたい16、17歳ぐらいの生徒に、

 君は将来何になりたいんだ?君の夢は何なんだ?って、

 聞くこと自体、平井さんはどう思う?」

「いやぁ…。

 僕はもうその頃から、何となく教師になりたいという

 気持ちがあったから、答えられたと思うんですけど…、

 でも、周りの友達たちの多くは、まだまだ将来のことは漠然としてて…、

 なので、とりあえず、大学に入って…、

 将来の職業のことを考えるのはそれから、っていう子が多かったですよね。」

「まあ、そうだろね。

 キャリア教育っていう言葉が、もてはやされるようになる前までは、

 いわゆる進路指導って言ってたんだけど…、

 高校の進路指導って、結局、進学指導じゃん、て批判されてね。」

「ああ、

 出口指導っていう、批判ですか?」

「あ、そうそう。

 結局、大学入試とか、就職試験に受かるための受験指導に堕してるとね。

 そんな歴史もあって、キャリア教育が登場して…、

 出口ではなく、もう少し、遠き慮りがなければ、

 必ず近き憂いあり、ってね(笑)。」

「それで、将来は何になりたいのか?って聞いたわけですね。

 夢を持てと…。」

「そういう要素は、多分にあるよね。」

「でも…、

 やはり、ちょっと無理があるというか…、

 高校生って、まだまだ視野が狭いですし、

 まあ、バイトぐらいはしたとしても、社会経験も少ないですからねぇ。」

「うん。

 だから、先進的な取り組みをしてた高校では、

 職業体験とか、ジョブ・シャドウイングとか…、

 まあ、即席で仕事体験に取り組ませたりね。」

「ジョブ・シャドウイング?」

「ああ…、

 生徒が、企業の社員に半日か1日、影のように張りついて、

 彼らがどのような仕事をしているかを観察して学ぶっていう取組みね。」

「へー。

 そんなこともやったんですね。」

「でも、平井さんはもう社会人だから、わかるでしょ?

 張りつかれる側の人の気持ちが(笑)。」

「ええ、何となく(笑)。」

「まあ、生徒にとっては、一つのいい経験には当然なるだろうけどね。

 ただ、やはり平井さんが言うように、無理があるよね。

 やっつけ感もぬぐえないし。」

「そうですね。

 それに、高校生って、さっき言ったように、

 まだ視野が狭いから、そういう体験すると、

 その影響が大き過ぎちゃうんじゃないんですかね?」

「そうそう。

 だから、そういった職業体験の弊害として、

 自分が体験した職業に就きたい、って思う生徒が増えちゃったわけ。

 よくある話としては、ネイルサロンに体験に行った子が、

 自分は、将来ネイリストになりたいって言って、急に目覚めちゃって(笑)。」

「ほう。」

「で、高校卒業後、専門学校行って、ネイルサロンに就職したはいいんだけど、

 ほどなく、やっぱり自分には向いてないって気づいて、辞めちゃって、

 爪を噛むっていう事例が、ね(笑)。」

「ネイリストが爪噛んだら、

 またネイルサロンに行かなきゃいけないじゃないですか(笑)。」

「そうだね(笑)。

 だから、いわゆるミスマッチってのが、ほうぼうで起こったんじゃないかな。

 まあ、今でもミスマッチはあると思うけどね。」

「なるほどぉ。

 それが、キャリア教育の弊害というわけですか。」

「いや、まだまだ弊害はいろいろとあるよ。

 これは、私の感覚だけど…、

 日本の学校でのキャリア教育って、

 結局、生徒の前に選択肢をたくさん並べておいて、

 この中から、自分に合うと思うものを選んでいけ、

 というやり方かな、とね。

 つまり、いくつも門を開いておいて、

 そこから、狭い門に入って行く、と言うか…。」

「ええ。」

「でも、それだと、ミスマッチが起こりやすい、と言うか…、

 その、自分に合うってのが、曲者でしょ?」

「だと思います。」

「それより…、

 大事なことは…、

 狭い門から入りなさい、じゃないけど、

 門をくぐってから、さらにその後に、継続して、

 自分の可能性とかと追求していく力というか、意志というか…、

 そういう力を付けるのが、ほんとのキャリア教育なんじゃないかとね。

 そう思うわけ。」

「なるほどぉ。

 それは、説得力があると言うか…、

 なんか、納得ですね。」

「そうだとすると、

 今の学校で、キャリア教育を行うってのは、

 限界があると思うんだよね。」

「それは、なぜなんですか?」

 

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