創作読物63「看守の言うことは絶対だよね」

 

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

前回は、こちらから

 

「え?

 だって、教員ほど、いわゆるキャリアが薄い職業はないでしょ?」

「え?

 どういうことですか?」

「うん。

 だって、教員の大多数は、小・中・高・大って出て、

 その直後に教職に就いて、学校で働くわけだから、

 結局、学校の中でしか生きて来てないと言われても、しょうがないでしょ。」

「ああ、それで、キャリアが薄いと…。」

「口が悪い人は、

 教員てのは、大学までに蓄えた貯金を切り崩して生きてる、

 なんて悪口言う人もいるしね(笑)。」

「そうですか…。

 でも、貯金があるだけいいような気もしますが…。」 

「そっかぁ(笑)。

 ただ、そんな貯金なんて、すぐに底を突いて、

 キャッシュカードに残がない、ってことになっちゃうんだよね(笑)。」

「なんですか?それ。面白いですね。」

「いや、昔流行ったギャグだよ(笑)。」

「へぇー。」

「もちろん、教員誰もがそうだと言うのは、乱暴だけどね。

 でも、やっぱり学校って、閉鎖的というか、

 閉ざされがちな世界だからね。」

「それって、教員が世間知らずだ、と言われるのと一緒なんですかね?」

「うん。

 だから、教員になる前も、なってからも、

 よほど意識して、いろいろと教育以外の見聞を広めるとか…、

 何か、資格を取るでもいいし、いろんなスキルを身につけるのでもいいし…。

 とにかく、教育とか、学校の中だけで、完結しちゃうのは良くないよね。」

「うーん。

 それはわかるんですけど…、

 学生から教員になって、暫くはやはり、仕事を覚えるというか…、

 やはり、授業の予習や、生徒指導で忙殺される毎日で…。」

「それは、教職だけでなく、

 どんな仕事に就いたって、いろいろ覚えたり、

 やんなきゃいけないのは同じでしょ。

 だから、それは単なる甘えなんだよ。」

「手厳しいですねぇ。」

「そうやって、教師ってのは、

 授業や生徒指導や部活動の面倒見てるんだからって…、

 自己満足って言うか、自己完結って言うか、

 自分で自分の限界を決めちゃってるんじゃないかね。」

「うーん。」

「だから、キャリア教育に話を戻すと、

 比較的キャリアが薄い教員には、

 将来、多岐に亘って活躍していく生徒たちの指導ってのは、

 始めからちょっと無理があるんじゃないのかな、って思うわけ。」

「うーん。

 なんか、悔しいですけど…、

 おっしゃるとおりなのかもしれませんねぇ。」

「ただ、問題は…、

 なんで教員は、一生懸命切磋琢磨する内容が、

 授業とか、部活動とか…、

 狭い範囲に留まっちゃうのか、ってことなんだけど…。

 平井さんは、何でだと思う?」

「うーん…。

 よくわからないですけど…、

 普段、接してる相手が、主に子どもというか、

 年下の児童・生徒たちだから、ってことですか?」

「うん、それもあるよね。

 で、これまた乱暴なたとえ話なんだけど…、

 日本の学校って、

 ある施設に酷似してるって言われることがあるんだけど…、わかる?」

「え?

 何だろ…。」

「刑務所だよ。」

「え?

 そうなんですか?」

「だって、

 両方とも、塀とか、フェンスで囲まれていて、

 中にいる人は、皆同じ服着てて、

 集会時には、ホイッスルと号令一下で、整然と右向け右ってね。」

「はあ…、

 そう言われてみれば…、

 確かに、そういうところは似てますねぇ。」

「うん。

 でも、そうした形式的な面だけでなくて、

 メンタル面でも、何というか…、

 両方とも、飼いならされちゃうと言うか…、囚人も、児童・生徒も。」

「と、おっしゃると?」

「刑務所では、囚人たちは、みんなと同じように振舞わなきゃいけないでしょ。

 看守の言うことは絶対だよね。」

「確かに、

 学校も、集団行動の名の下に、同一行動を求められますし、

 児童・生徒にとっては、やはり教員の言うことは、

 かなり、強制力がある、と言うか、

 従わなければならないって面がありますからねぇ。」

「日本の刑務所では、個人の自由な発想とか、自主性なんていうのは、

 ありえないでしょ?」

「そうでしょうね。」

「学校だって、それは教師が思ってるほどには、認められてないでしょ。」

「生徒にとっては、そうなのかもしれないですね。」

「教師の言うことに従わない者は、

 わがままで自己中心的な駄目なやつ、

 という評価が下されちゃうでしょ。

 生徒たちは、そういったことをちゃんと学ばされてるよ。」

「学校総体で見ると、

 まだまだそうなのかもしれないですねぇ。

 先日話してくれた、

 強制か、任意かっていう問題ですね。」

「ああ、

 教師とか、親とか、とにかく誰かを指導したり、

 しつけたりする立場の人って、

 矯正するために、強制するっていうことがよくある、って話ね。」

「はい、そうです。」

「でもって、

 教師も人間だから、

 どうしても、相性と言うか、

 好き嫌いで、生徒に対する評価が変わるってこともあるから、

 下手したら、それって偏見とか、差別に繋がっちゃうとも言ったよね?確か。」

「ええ。

 そうなんです。

 そのへんのお話も、もっと聞けたらなぁ、と思っていたんですけれど…。」

「そっか…。

 ただ、その前に…、

 さっき、教員が世間知らずだ、と言われないように、

 教員になる前も、なってからも、意識して、

 教育以外の見聞を広めるとかしないといけない、って言ったでしょ?

 教育とか、学校の中だけで、完結しちゃうのは良くない、って。」

「あ、はい。」

「で、誤解されちゃ困るんだけど、

 今は、そういう前向きな教員たちもグッと増えては来ているんだよね。」

「ええ、そうだと思います。

 地域社会の、いわゆる教育力を学校教育にも取り入れろ、って、

 文科省でも、教育委員会でも盛んに言ってますからね。

 だから、教員も学校以外の世界と言うか…、

 そういうところにアンテナ張ってないと、無理ですからね、そんなこと。」

「うん。

 確かに、そういった意味では、保護者とか地域の人が、

 教室で活躍する機会とか、場面ていうのは、格段に増えてはいるよね。」

「そうですね。」

「ただ…、

 なんと言うか…、

 それはあくまでも表面的な変化であって、

 根本のところでは、頑として変わっていないところがあるんだよね。」

「え?

 それは、どんなところですか?」

 

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