創作読物113「出る杭は打たれる」

 

 

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

前回は、こちらから

 

「さて…、

 だいぶ遠回りしちゃったけど、

 いよいよ、人が死ぬ間際に抱く後悔の…。」

「一番多かったことですね?」

「そうそう。

 それは…、

 自分に正直な人生を生きればよかった、

 ということだったね。」

「ええ。」

「陽香さんは、これを聞いて、

 なんか、違和感はない?」

「違和感ですか?」

「うん。」

「うーん。」

「陽香さんは今、

 自分に正直に生きてる?」

「うーん。

 だと思うんですけど…、

 でも、改めてそう聞かれると…、

 正直な部分と、そうでない部分がありそう、と言うか…。

 先生は、どうなんですか?」

「うん。

 私も、改めて考えると、

 正直な部分と、そうでない部分があるかな。

 でも、それって、誰でもそうなんじゃないかな?」

「ええ。

 自分に正直に生きられれば、

 それに越したことはないとは思うけど…、

 でも、なかなかそうもいかないと言うか…。」

「じゃあ、正直になれない理由は何なんだろうね。」

「うーん。

 難しいですね。」

「正直の反対は、不正直であって、

 嘘をつくことではないんだけれど、

 でも、ついつい、自分の気持ちに嘘をついて、

 不正直と言うか、偽りの気持ちや行動を取ってしまうってこと、

 あるよね?」

「ありますね。

 正直な気持ちや行動を、そのまま表すと…、

 なんか、差し障りがあると言うか…、

 だから、やはり周りの人とかに遠慮して、

 正直になれないんじゃないですかね?」

「うん、おそらくね。

 でもね、

 じゃあ、人はいつから周りの人に遠慮したりするようになるんだろ?」

「え?

 いつからだろ?」

「生まれた時から?(笑)。」

「え?

 いや、そんなことはないですよねぇ。」

「だよね。

 周りの人に遠慮してる赤ちゃんなんて、

 見たことないよね(笑)。」

「ええ、そうですね(笑)。

 赤ちゃんは、むしろ、遠慮なんかしないですよね。

 お腹がすいたら大声で泣いて、

 おむつが汚れたら、これまた大声で泣いて。

 周りの人は、赤ちゃん中心の生活になるわけだし…。」

「そうだよね。

 そう考えると、赤ちゃんの振る舞いって、

 王様並みだよね(笑)。」

「ですね(笑)。

 でも、大きくなるにつれて、

 少しずつ、遠慮を覚えていくと言うか…。」

「うん。

 ということは、

 正直さが失われれていくのは、後天的ということだね。」

「なんででしょうね。

 成長につれて、周りの人に遠慮するようになるのは。」

「まあ、出る杭は打たれる、ってことなんだろうね。」

「出る杭は打たれる、ですか?」

「出る杭は打たれるって、

 才能のある人は、周りから疎まれるとか、

 余計なことをして、周りの平和を乱す人は非難されるとかって、

 そういう意味なんだけど…、

 この場合は後者かな。」

「なるほど。

 余計なことかどうかは、わからないけど、

 確かに、これを言ったり、したりしたら、

 周りの人から、どう思われるかな?とか、

 周りの人に、なんか言われるかも、と思って、

 遠慮と言うか、そうしないってのは、よくありますね。」

「うん。

 そういう周りの人からの圧力と、

 それを避けたいっていう自分の気持ちが相俟って、

 次第に正直さが消えて、不正直と言うか、

 自分に素直になれなくなっていくんだろうね。」

「じゃあ、

 親も含めて、周りの人が悪いってことですか?」

「まあ、そうなんだろうけど、

 でも、親や周りの人は…、

 つまり本人たちは、それを善かれと思って非難したり、

 制止したりしてるわけだから…。」

「罪の意識はないと?」

「罪の意識か(笑)。

 まあ、そうだね。

 それどころか、

 それが自分たちの役割だと思って、

 意義を感じてやってるんだからね。

 世間では、それを、しつけとか、教育とか呼んでるよね。」

「しつけですかぁ。」

「陽香さんは、

 出る杭は打たれるの、反対語は何だと思う?」

「ああ、

 出た出た、元国語の先生が(笑)。」

「ははは(笑)。

 そう、国語で言うと何だと思う?」

「出過ぎた杭は打たれない、ですか?」

「ほほう。

 そんな言葉、知ってるんだ。

 恐れ入りました(笑)。

 でも、ほんとは、Going my way.

 我が道を行く、だよ。」

「ああ、なるほどぉ。」

 

(つづく)