創作読物64「こんなに世の中変化してるのに」

 

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

前回は、こちらから

 

「うん。

 平井さんは…、

 たとえば、今の学校の教室の作りって、いつからああなったか、知ってる?」

「え?

 教室の作り?ですか…。」

「うん。

 つまり、前に黒板があって、

 教卓があって、その前方に向かって、

 生徒の机と椅子が整然と並んでる、っていうスタイルね。」

「ああ、教室のスタイルですね。

 え?いつからなんだろ…?」

「歴史的には明治初期に、学制が発布されて…、

 つまり、明治の教育大改革が行われて、

 子どもは全員、学校に入らないといけなくなったわけでしょ。」

「ええ。」

「すると、全国的に、小学校が津々浦々に建てられたんだけど、

 その時からだよね、今の教室のスタイルができたのは。」

「とすると、

 今のスタイルは、かれこれ150年近くも変わってないってことですね。」

「そうだよ。

 教科書とか、教育の中身は随分変わって来たけど、

 それを教えたり、授業するための器は、全然変わってないってことだね。」

「なるほど。

 そう言われると、なんか、ちょっと、変な感じがすると言うか…、

 こんなに世の中変化してるのに、それでいいのかなぁ、と思えてきますね。」

「うん、そうでしょ?

 じゃあ、今のスタイルの前は、

 日本では、どんな場所で、いわゆる庶民の教育は行われてた?」

「えーと…、

 明治時代の前だから…、

 江戸時代だから…、あっ、寺子屋ですか?」

「そう、寺子屋だよね。

 でも、寺子屋と言っても、全然ばかにならなくて、

 今、全国にある小学校は、公立私立合わせて22,000校ぐらいなんだけど、

 幕末には、寺子屋は全国で、なんと16,000~17,000もあったんだってよ。」

「それは、すごいですね。

 子どもの数が、今とは全然違うだろうから、

 逆に、とっても多かったということですね。」

「うん。

 もちろん、今の学校のように、何百人も入れるわけじゃないけど、

 それでも、当時の子どもらの7割が通ってたらしいから、

 それだけの需要があったってことなんだよね。」

「ですねぇ。」

「で、肝心なのは、

 その寺子屋の教室というか、教場なんだけど、

 平井さんは、寺子屋の教場風景のイメージ湧く?」

「教場のスタイルですか?」

「そうそう。」

「よく、時代劇なんかだと、

 やっぱり、前に先生が居て、

 子どもたちが、先生のほう見て、

 行儀よく座って、勉強してる場面が出てきますよね。」

「うん。

 でも、あれは間違ってんだよ。」

「え?

 そうなんですか?」

「うん。

 あれは、おそらく制作者が、

 今の学校のスタイルをそのまま当てはめたんだよね。

 よく時代考証もしないで。」

「そうなんですかぁ。

 じゃあ、どんなスタイルだったんですか?寺子屋は。」

「まず、同じ場所に異年齢の子どもらが居て、

 習い事の内容で、年齢関係なく、集まって学んでたらしいから、

 机も決して整然としてたわけではないみたい。」

「ほう。」

「で、先生と言うか…、

 当時は、お師匠さんて呼ばれたんだけど、

 そのお師匠さんが、いろいろと面倒見るっていうスタイルね。」

「大変ですねぇ、お師匠さんは。」

「でも、ほら、年上の子が、

 年下の子の面倒見るように、自然にそうなるからね。」

「なるほど。

 今、話題の異年齢集団による、協同学習ですね、まさしく。」

「うん。

 だから、江戸時代は、それが既にできていたと言うか、

 それが当たり前だったんだよね。」

「それが、明治新政府になって、

 学校とか、教室のスタイルが変わったということなんですね?」

「そうなんだけど…、

 じゃあ、なんで変わっちゃったんだと思う?」

「うーん。

 やっぱり、欧米列強の真似して、

 いわゆる富国強兵のためなんですかね?」

「うん。

 産業革命の影響もあったろうし、

 とにかく、欧米に追い付け、追い越せのcatch up型で、

 効率も求められたんだろうね。」

「確かに、今の教室スタイルのほうが、

 教師にしてみたら、教えやすいですよね。」

「うん。

 今の教室では、

 椅子に座ると、嫌でも身体が黒板のほうに、

 つまり、教師のほうに向くようになってんでしょ(笑)。

 だから、教師がいちいち、前向け、なんて言わなくていい(笑)。」

「確かに、規律と言うか…、

 短時間、短期間で、まとまったことを教えるには、

 よくできたシステムですよね。」

「うん。

 ただ、そこが落とし穴と言うか…、

 なんか、学校と言うより…、

 工場で製品を作るようなシステムだったんじゃないかってね。」

「子どもたちが、製品化してたってことですか?」

「うん。

 学校が工場化してた、という言い方もできるかもね。」

「品質が均一化した製品の、大量生産という、

 まさしく産業革命の波が、学校にも及んだということですか?」

「なかなか、旨いこと言うね、平井さんは。

 そうなんだよ。教師や学校にとって大事だったのは、

 均一化した子どもの拡大再生産だったんだよね。

 もちろん、現場の人間は、おそらくそういう意識で教育に当たってた人は、

 少なくて、無我夢中で、一生懸命、教壇に立ってたんだろうけどね。」

「でも、政治家たちの狙いは、殖産興業、富国強兵だったってことですね。」

「うん、そうだね。

 このあたりの話は、し出すと面白くて、切りないと言うか…。

 たとえば、今の制服だって、軍服の流れを未だに受け継いでるわけだし。」

「なので、150年前と、今の学校は、

 質的には、あまり変わってないってことですか?

 表面的な変化はあっても、根本は、それほど変わっていないと。」

「うん。

 問題は、そうした教室とか、制服とか、形式的な部分だけでなく、

 おそらく、均一化を目指すことによって、

 日本では、やはり人権を大事にするっていう、

 教育で一番大切なことが、置き去りにされちゃったんじゃないか、とね。」

「人権ですかぁ。」

「じゃあ、改めて聞くけど、

 平井さんは、差別とか、偏見て、なんでなくならないんだと思う?」

「え?

 それは、またまた難しい質問ですねぇ。」

 

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