シンガポール事情:兵役編その9

7日間の過酷な野外訓練を無事に終えると、数日後にTekong島を出た後の配属部隊を知らされることになるのですが、その前に、Tekong島での新兵生活の一つの大切な思い出と苦い思い出について書きます。

 

実は私は、軍隊に入隊する前、軍隊では友達ができないのでは、と思っていました。

なぜなら、私はシンガポールの日本人学校に通っていたため、日本語を話す友だちはいたのですが、もともとシンガポールで生まれ育った、いわゆる「シンガポーリアン」の友達を作ることが、それまでできなかったのです。

私は家庭では、父親からは日本語を、母親からは英語を教わったのですが、母は、クイーンイングリッシュという綺麗な発音の英語を好んでいたので、私の英語も当然、クイーンイングリッシュに近かったのです。

ところが、シンガポールで使われている英語は「シングリッシュ」と呼ばれ、イントネーションや発音が独特なのです。

例えば、「lah」という単語はシンガポーリアンの中で一番使われていて、会話の最後によく使います。「OK, lah!(大丈夫だよ)」や「Easy, lah(簡単だよね)」といった感じです。

あるいは、単語の語尾の子音が発音されず、小さな「ツ」で終わるというのも特徴です。Ticketなら「チケッ」、Japaneseは「ジャパニッ」といった感じです。

なので、日本人学校に通っていた私は、シングリッシュを使うシンガポーリアンとの接点もなく、仮につながりがあっても、言葉がよく理解できなかったのです。

これらのことから、入隊しても、友達を作れるのかどうか分からなくて、不安だったのです。

 

案の定、入隊した私は、友達を作ることができず、一人孤独でした。

部屋の人達の話す英語は、シングリッシュが強すぎたため、何をいっているのかがわからなかったのです。おまけに、私の部屋の人たちは中国系が多く、中国語も飛び交い、ますます私だけ取り残された感じがしていました。

しかし、最初の1週間は、その同じ部屋の人たちと一緒に行動せざるを得ず、食堂でのブッフェ式の食事も、会話もしないで一緒に食べることが当たり前になっていました。 

 

私はこのままだと友達もできないと思い、ある行動をとりました。

訓練中に、別の部屋の人たちと一緒にトレーニングする機会があり、ある日、思いきってその人たちと一緒に食事をとることにしたのです。

するとなんと、中には見た目は中国人だけど日本人、シンガポール人だけどシングリッシュを使わない人達がいたのです。 

その日から私は、その人たちとも関わるようにしました。

この機会に友達の輪を広げられたらいいなと思いました。

 

そして、軍隊に入隊してから1ヶ月経った頃、一人の新兵に出会うことになります。

その新兵の名前はNaveen(ナビーン)といい、オーストラリアの留学生でインド人でした。Naveenと他の人達と一緒にいたせいか、彼らの英語を聞き取ることに慣れ、シングリッシュも少しずつ教わることになりました。

しかしまだ上官が使うシングリッシュは、聞き取る事ができませんでした。 

シングリッシュは、その人の出身地や家族の国籍によっても発音等が違っていたのです。

なので、上官が変わるとシングリッシュも変わり、聞き取りが難しかったのです。

シンガポーリアンの人達は、そういったシングリッシュを聞き取れるのがすごいなとも思いました。とにかく、こういった人たちに出逢えてから、私の軍隊生活はやっと楽しくなってきました。

 

その中でもNaveenは、私の軍隊での退屈な日々を変えた、大切な人でした。

Naveenにシングリッシュの聞き方や、喋り方を教わった結果、私のシングリッシュ読解力も上がりました。

また、Naveenは、野外訓練中に、私や他の人がグロッキーになった際に、荷物を持ったりしてくれました。私はその優しい姿に憧れを感じました。

 

これらの経験を踏まえて、私も他の新兵たちに積極的に自分から話すようになりました。

今でも悩む事の多い、人との関わり方ですが、私はこれらの経験から、その人がどういう性格なのか、何が好きなのか、また自分の接し方などを見つめ直すようにもなりました。

 

近年、孤独について、ニュースなどで取り上げられ、ネットでも話題になる事が多く、様々な改善方法についての情報が溢れ、どれが正しいのかと判断するのが難しいですが、私は軍隊で、たった一つの行動(待っているだけではなく、自分から動くこと)で孤立から抜け出すことができ、いろんな人と仲良くなることができたのです。

 

                                  (つづく)