あの日、あの時、あの場から~人生は出逢いで決まる④~

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15の春に泣く

私は中学3年間を通じて、ずっと軟式テニス(今はソフトテニスですね)部に入っていました。

中学3年生の夏の大会での戦績は、個人戦では横浜市大会では3位。神奈川県大会の団体戦ではベスト4。キャプテンを務めるなかなかのスポーツマンだったのです。

大会ではそこそこの戦いぶりを示すことができ、それもあってか、後日、顧問の知り合いの伝手で、なんと韓国の中学生ナンバー1のチームと、先方の練習を兼ねた親善試合をする、というラッキーな体験をすることができました。

試合は、もちろん?負けましたが、試合後の握手で相手選手の掌が非常に大きくてびっくりしたこと、そして何よりも、相手チームが自陣に戻って、監督の前に立った時に、直立不動で敬礼をしたのを目の当たりにした時は、「えっ?」と驚いたのを今でも覚えています。

 

その後、9月に行われた横浜市民大会を最後に引退し、あとは受験勉強という、お決まりの残りわずかな中学生活を送りました。

高校合格後に、バスの中で車内人身事故に遭うというアクシデントには見舞われましたが、

無事、4月には入学し、部活も当然テニス部に入部、ということでしたが、その高校には、軟式テニス部はなく、入ったのは硬式テニス部。

今度は硬式で神奈川県を制覇しようと、意気込んで練習参加しましたが、新入部員に課されるのは球拾いと筋トレやランニングが定番。

私も他の新入部員と一緒に、そうした体力トレーニングに励みましたが…。

 

どうもからだが変なのです。

ランニングですぐに息切れしてしまい、思うように走れません。

最初は、受験勉強でしばらく運動から遠ざかっていたから、からだがなまっているせいだろうと思っていたのですが、来る日も来る日もそんな感じで…。

そのうちに、「どうもこれは運動不足のためだけではないな。もしかして、頭を打ったからなのかな?いわゆる後遺症というやつなのかな?」との思いに襲われてきました。

 

1か月後、私は部活を続けることを断念し、退部しました。

それからはずっと、帰宅部に所属せざるを得なくなったのです。

 

これで、私が夢描いていた高校生活の1つが崩れ去ることになりました。

「15の春を泣かせるな!」というフレーズは、もはや古い言い回しかと思いますが、

私はまさしく15の春に泣きました。

しかし、この涙は、単に15の春だけにとどまらなかったのです…。

 

(つづく)