Nevertheless(それでもなお)・・・

還暦

2018年10月2日。

本日、私は還暦を迎えました。

私の両親は、共に大正15年生まれで、幸いにも二人とも健在で御年92歳。

したがって、両親の年祝を、順を追って行ってきたので、

還暦に続くのは、古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、そして白寿(99歳)と・・・、

だいたいこのあたりまでは見たり、聞いたりしたことがあったのですが、

還暦からさらに60年後の120歳を「大還暦」と呼ぶということまでは知りませんでした。

しかし、長寿大国日本のことですから、見事に大還暦を迎える人も、そう遠からず出てくるのではないでしょうか。

 

閑話休題。

還暦を1年後に控えた昨年の夏、「還暦とは、干支が一巡して生まれた年に戻ることから、赤ちゃんに戻る、第二の人生に生まれ変わる」ということ。

ならば、このまま漫然と、いわゆる老後を送るのではなく、今まで経験したことのない世界に身を投じて、第二の人生とやらを生きてみようと思い立ち、私はこれからの人生を、痛みや苦しみで悩む人の「こころとからだを同時に癒すセラピスト」として生きることを決めたのでした。(因みに、この「赤ちゃんに戻る」ということから、赤いちゃんちゃんこや赤い物を贈るという慣習が生まれたようです。)

 

さて、60歳は孔子に言わせれば「耳順」。

孔子は、60歳になると、人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった、とのこと。

実は、私がこの4月にミオンパス(ミオンパシーの施術師)としてデビューする直前に、

若い人たちから、ある小さな会社の代表取締役、すなわち社長に就任してくれないか、
との話を持ち掛けられました。

 

これまでの60年、大還暦まで生きることを前提に(笑)、これを半生と呼ぶことにすれば、この半生においては、私がこうした重大な決断を迫られた際には、周到に情報収集をした上で結論を出す、という習性が身についていました。

が、生まれ変わりを決意したものですから、この時の私は、あまり深く考えることは敢えてせず、若者たちの言うことに耳を順(したが)えることにしました。

 

これまでの半生は、組織に属する者として、組織のために尽力し・・・、

いやいや、組織のためというよりは、組織の中で働く人たちが、いかにやりがいや働きがい、生きがいを持てる職場にするか、といった観点から職場を盛り立て、活性化するにはどうしたらよいか、という組織づくり、職場づくりといった組織マネジメントを意識する日々を送ってきました。

その一方で、ことを為すに当たっては、「私、失敗しないので!」との言葉よろしく、

入念な準備とシミュレーションのもとに、極力ミスをしないで仕事を行ってきました。

また、仮にミスを犯したとしても、その影響を最小限に抑え、むしろピンチをチャンスに切り替え、禍を転じて福として結果的に益を得る、という仕事ぶりが身についていました。

 

しかし、世の中では、表向きはボトムアップを奨励しつつ、本音ではまだまだトップダウンを堅持したい組織体が多いようで、そうした中での私の仕事ぶりは、言わば「目の上の瘤」として疎んじられることもしばしば。

出ようとすれば、梯子を外されるし、それでもなお出れば出たで、杭のごとく打たれるし・・・。

 

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

兎角に人の世は住みにくい」。

理詰めで突き進んでゆくと、他人と摩擦を起こし易いし、かといって、感情にまかせて突き進めば、事態は思わぬ方向に展開してしまう。

意地を通せば、文字どおり窮屈になり、「とにかく、この世は生きにくい」なぁ、と思ったこともたびたびありました。

 

もう組織で働くのはいいかな。

思い切って生まれ変わるのなら、良くも悪くもこれまで慣れ親しんだ「組織」の人間として働くのではなく、フリーランスとして生きてみよう。

これが、大学を辞め、ミオンパスとして、個人事業主として働くことになった一つの理由でもありました。

 

その自分が、まだ組織から完全に足を洗う前に(笑)、別の組織を束ねる社長という立場に就く意思表示をしてしまったのです。

今振り返ると、やはりちょっと迂闊だったのかもしれません。

事前に入れてくれた会社に関してや周辺の情報も、不十分そのものだったからです。

でも、その時は、自分ももう還暦(年寄り)だから(笑)、たまには若い人の掌の上で操られるフリをしてみてもいいかな、「耳順だよ、耳順」といった変な誘惑に勝てなかったのです。

 

なので、しばらくは若い人たちの思うように仕事をしてもらい、自分はちょっと距離を置いてそれを見守る、というスタンスを取りました。

それもあってか、若い人たちは一生懸命動いてくれました。

しかし、如何せん「若い!」。もちろん私から言わせると(笑)。

そのうちに「ん?」と思うことも何度かあり・・・。

 

ところで、先月の敬老の日絡みの連休を使って、長野に小旅行に行ってきました。

長野の上田には、義父母のお墓があるので、そこにお参りしがてら、結果的に北信州のパワースポット巡りの旅となりました。

そのうちの一つ、信州戸隠山に鎮座まします戸隠神社。

その起こりは遠い神代の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしているとのこと。

中でも「奥社」は、日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸を開き、天照大神をお導きになった天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を戸隠山の麓に奉斎した事に始まるそうです。

 

どうせ行くならと、「中社」に車を駐車して、「奥社」へと歩いてみました。

参道は約2キロ、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いていました。

 

その杉並木の入り口付近に、ちょっと変わった一本の杉の木が。

木肌が、スパイラル状にひねくれていて・・・、しかも大きく剥げてたりもして・・・。

「これ一本だけ変わってるなぁ・・・。なんか、俺みたい(笑)」。

と思いながらカメラに納め、さらに参道を1キロほど歩いて奥社へ。

 

こう見えて、実は私はクリスチャンなのです。

「敬虔なるクリスチャン」ではなく、自称「経験あるクリスチャン」(笑)。

なので、奥社でもお賽銭を投げたり、お参りしたりはせず・・・。

でも、せっかくなので、おみくじだけは引いて・・・(笑)。

 

すると、なんと、今年還暦の私は、いわゆる「本厄」の年齢だったんですね。

さすがクリスチャン!おみくじを引くまでは、厄年であることなど、まったく意識の外にありました。

もっとも、それを知っていたら、その年に転職なんかしなかったかも・・・、ですね。

 

おみくじは、「半吉」でした。

「?」。

半吉って、いいの?悪いの?

帰宅してから調べたら、おみくじの順位は、「大吉、中吉、小吉、吉、半吉、末吉、末小吉、凶、小凶、半凶、末凶、大凶」で、半吉とは「吉凶が年間を通じて半々ある運」ということで、すなわち、一年間は良いことと悪いことがイーブン、とのことでした。

 

そしてそのおみくじの冒頭には、次の文章が書かれていました。

「是は始に人にこころを疑はるる事あるの兆にして、いかにも精神を尽くして其の疑ひをはらさざれば身に禍をうくる事ままあるべし・・・。」

なるほど・・・、当たっているかも。

 

仕事の話に戻ると、

自分が社長という責任者でありながら、ちょっと高みの見物をしている間に、いろいろと会社としてやっていることが、関係者の不興を買う、という事態に陥ってしまっていたのです。

もちろん、これまで経験してきた事ごとに比べれば、まったく大したことではないのですが、そのまま放置すれば、事態は悪化していってしまいます。

なので、もう高みの見物はやめて、自分が差配しないと・・・。

でも正直、「気が乗らないなぁ。何のために組織から離れたんだろう。こんなはずでは・・・」。

割り切れない、煮え切らない思いを抱いたままの長野旅行であり、戸隠神社への参拝でした。

 

でも、「天の岩屋」にはもう隠れることはできなさそうだな。

奥社に来て、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)の馬鹿力で、また現実の世界に引っ張り出されてしまったよ(笑)。

 

そんな思いを抱きながら、帰り道でまたあの杉とご対面。

「そうか、仕事を変えることはできても、生き方まで変えることはできないんだな。

この杉のように、自分もこれまで同様、渦を巻いて生きていくか」。

こんな感慨に耽りつつ、今回の旅を終えました。

 

そもそもブログのタイトルに、Nevertheless(それでもなお)・・・、などと記すわけですから、こんなところで立ち止まったり、老け込んだりしているつもりはないわけですものね。

還暦を目前にした旅で、本当に生まれ変わるきっかけを得ることができたかな・・・。

そんな気がしています。

(了)