あの日、あの時、あの場から~人生は出逢いで決まる⑨~

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これが芝居なら…

期待して誂えた、カッコいい眼鏡でしたが・・・、

数日掛けても、残念ながら効果というほどのものはありませんでした。

確かに乱視は矯正されたので、文字は以前よりはクリアに見えるようになったのかとは思いますが、それも若干の乱視だったので、眼鏡を掛けても掛けなくても大差はない、という程度の軽い度数の眼鏡でしたので、変化はあまり感じられませんでした。

また、レンズに入れた「色」も、まぶしさを軽減するには程遠い淡い色でした。

 

仕方なく、眼鏡屋の太田投手を訪ね、これこれしかじかと状況を伝えると、太田投手は、「まだ眼が眼鏡に慣れていないのだと思う。しばらく様子をみてください。」と、あっさり一言。

今一つ割り切れないものを感じながらも、すごすごと引き下がり、帰ってきました。

うつむきながら。

 

夏休みに入ると、同級生たちは自宅で試験勉強に勤しむ者と予備校に通う者とに分かれました。
私は、それまで塾や予備校と名の付く所に行ったのは、高校受験を間近に控えた、中学3年生の冬休みの期間だけでした。

しかし、さすがに大学受験だから、夏休みから行ってみるか、でも、東京まで通うのもなぁ、と思い、横浜駅界隈にある〇〇予備校に、眼の悪くなる直前に申し込みはしてあったのです。

 

私は、気分転換になるかもしれない、と期待して予備校に通いました。また、家族や同級生たちも、それを当然視していたのだと思います。受験生なのだから。

というのは、私の眼はとても痛かったのですが、傍から見ると、眼の痛みやまぶしさなどというものは、骨折とかとは違って、大変さが周りに伝わりづらいものなのです。

なので、私があまり苦痛を訴えれば訴えるほど、大げさだとか、勉強したくないから、そんな芝居をしてるんだろ、と思われかねないのでした。

なんとも歯がゆい日々が続きました。

 

そして、予備校は、と言うと・・・、

やはり、通いきれませんでした。

予備校の教室の照明が、普段通っている高校の教室の照明よりも、格段に明るく、これでもかとばかりに煌々と照らされていたのです。

なおかつ、狭い教室にギュウギュウ詰めで座らされ、教壇では、講師が馬鹿でかい声でがなり立てている・・・。

さながら拷問を受けているようで、そのうちに頭痛がしてきて・・・。

とても、授業に集中することはできず、居たたまれないので、結局、教室からエスケープし、予備校通いからもリタイアしてしまいました。

 

勉強面では、このように不甲斐ない夏休みではありましたが、実は私には、夏休み中に勉強以外に頑張って覚えなければならないものがあったのです。

 

当時、私の高校では、夏休み後の9月に文化祭を行っていました。

クラス参加がメインなのですが、私のクラスは高校最後の文化祭の出し物として、「演劇」でのエントリーをしていたのです。

夏休み前には、既に演目や配役も決まり・・・、なんと私が「主役」を務めることも決まっていたのです。

 

演劇参加というのは、クラスとしてはそんなに大変なことではありませんでした。

もちろん、オペラでもやるのなら、総動員ということになるのかもしれませんが、私のクラスが決めた演目はなんと、ウジェーヌ・イヨネスコ作:前衛的不条理劇 「授業」!!!

なぜ、こんな特殊な劇を?とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、クラスの中に居たんですね、今でいう「オタク」が(笑)。

その彼が熱心に「授業」のすばらしさを力説し、文化祭での上演を推すので、他の演目を考えていた連中も、「授業」がどんな劇なのかもよく分からないまま押し切られて・・・、演目は「授業」と決まったのです。

 

この劇、登場人物は、たったの3人。道具類も、机と椅子があれば事足りる。
10人もいれば準備も上演も、一切合切ができてしまうというものでした。

今思えば・・・、

クラスメートたちは、やりたい者がやればいいと、ちょっと冷めた目で見ていたのかもしれません。

 

ここで、劇の内容をご存じない方のために、以下、ちょっと引用します。

 

『授業』の登場人物は初老の教授と若い女子学生、そして女中の3人である。

ある教授の家を、若い女性が個人教授を受けるために訪問する。

彼女は博士号の試験に合格するため、教授の個人指導を受けにやって来たのだ。

この教授はこうした試験準備のための個人教授で生計を立てているようだ。

彼は極端に内気な性格らしく、最初のうちはおどおどとして、いかにも頼りなげである。これに対し女生徒は快活で、その態度は堂々としている。

授業は初歩の算数からはじめる。

最初のうち、足し算については教授の出す質問に自信に満ちた態度で正しい答えを返していた女子学生だが、引き算になると彼女が全くその概念を理解していないことが露呈される。

この時から、教授と女子学生の間の立場が徐々に逆転しはじめる。

教授は徐々に生徒に対して威圧的・攻撃的になり、生徒は逆にどんどん生気が消失し、思考停止の状態に陥る。

授業が算数から言語学の講義になると、この「支配/被支配」の関係はさらにエスカレートしていく。

ナンセンスそのものの珍妙な言語学理論を教授は興奮した口調で説明するものの、女性は歯痛を繰り返し訴えるのみで、もはや教授の狂騒的な饒舌に対し対抗することができない。

女生徒の出来の悪さに逆上した教授は、結局、女生徒をナイフで刺し殺してしまう。

正気に戻った教授は打ちひしがれた様子だが、女中はこんな事態にもうんざりと言った雰囲気。

というのもこれでこの日、四十人目の犠牲者だからだ。

授業が行われていた居間を女中が片付けていると、呼び鈴が鳴る。

新しい女子学生がやって来た・・・。     (引用ここまで)

 

上演時間は、60分超。
しかし、登場人物3人の中で、台詞のほとんど9割方は主役である「教授」のもの。
そして、その「教授」を、私が演じることになっていたのです・・・。

 

(つづく)